岡山地方裁判所 昭和46年(わ)209号 判決
以下は、判例タイムズに掲載された記事をそのまま収録しています。オリジナルの判決文ではありません。
〔判決理由〕(強盗致傷罪の成立を否定し、判示傷害、窃盗罪の成立を認めた理由)
本件公訴事実は、「被告人は、昭和四六年三月二六日午前零時過頃、倉敷市水島東千鳥町二番一六号スナック「葦火」こと野瀬喜久江方において、飲酒中、同店の客丸尾泰造が酔余自己に対して執拗に絡み、迷惑に思つていたところ、同人が新品の腕時計をしているのを認め、これを強取しようと考え、同人が同店を出た際、同店前路上において「おどれや生意気な」と申し向けて同人の左顔面を手拳で二回強打し、左眼部に激痛を与え、同人の胸倉を取つて同路上西側溝に引き倒し、同人の頭部を溝コンクリートに打ちつけ、同人の身体を溝内に転落させ、同人の頭髪を掴み、溝内泥水に頭部を数回浸す等の暴行を加えてその反抗を抑圧し、同人が左手首に嵌めていた同人所有の腕時計一個(時価一三、〇〇〇円相当)をもぎ取つてこれを強奪し、その際右暴行により同人に対し全治約五日間を要する頭部打撲傷、顔面擦過創等の傷害を負わせたものである。」というものであるが、弁護人は、被告人が本件時計を強奪した事実はなく、それを拾つたにすぎないものであるから、傷害罪と占有離脱物横領罪が成立するにすぎないと主張するので、以下検討する。
第一、三回各公判調書中被告人の供述部分によれば、当公判廷においては、被告人は、本件公訴事実に対し、当日飲酒したスナック「葦火」を出る際、丸尾泰造が腕時計をはめていたかどうかよくわからなかつたし、まして時計をとつてやろうと思つて外へ出たものではなく、相手からからまれ、「外へ出て来い」といわれたので、それに応じて店外へ出たうえ、腹がたつていたので起訴状記載のような乱暴をしたことは間違いないが、頭髪ではなく、襟首をつかんで溝内の泥水に顔面を数回浸したものであり、また時計をとつた覚えはなく、右乱暴した現場から四、五間離れたところに落ちていたのを拾つたものである旨供述する。ところで、被告人の捜査段階の供述について見るに、司法警察職員に対する第一回供述調書によれば、くわしいことは覚えておらないが、その男を引倒し、店の前道路脇にある小さい溝に首をつかんで泥水に顔をつけたりした後、その男のはめていた腕時計をとつた旨概括的に供述するにすぎないが、同第二回供述調書によれば、相手が帰りぎわに「出てこい」などというので、腹が立ち、生意気なことをいうやつだという気持になり、時計でも盗つてやろうと思つて店外へ出、当公判廷でも認めるような乱暴をした後、相手が立ち上ろうとして下水道の端のところへ手をかけて来たので、引上げてやろうと思つて手首をつかんだところはめていた時計が手からはずれて道路に落ちたので、これをズボンのボケットにねじ込んでとんで逃げた旨供述し、相手の腕から奪いとつたものではないことをうかがわせるような供述になつているのである。ところが、同第三回供述調書にいたり、本件公訴事実を認める趣旨の供述に変わり、検察官に対する供述調書においてもその趣旨は維持されているのである。
一方、第二回公判調書中証人丸尾泰造の供述部分によれば、同人が当日「葦火」の閉店とともに店を出て、同店前路上の側溝に向い小便をしていたところ、被告人が「この野郎生意気な」といいながら、左眼の上辺りを手拳で殴つてきたので、前の溝へ体ごとはまり込み、頭髪を持たれて水中へ二、三回つけられた後、起き上ろうとして道路へ手をおいた時、時計を引きちぎられ、被告人はそのまま逃げて行つた旨被害に至る経過、暴行の態様等については、被告人が一貫して供述するところと異つているが、時計の強奪の点についてのみは、被告人の司法警察職員に対する第三回供述調書及び検察官に対する供述調書と符合する供述をするのである。
そこで、右丸尾供述の信用性について検討するに、前記公判調書中同人の供述部分によれば、同人は乱暴を受けたうえ、時計を引きちぎられたと言いながら、被告人を追跡することもせず、またその場ですぐ被害届出に赴くことなく帰宅し、翌朝午前一〇時頃になつてはじめてその届出をするとともに、傷の診断、治療を受けた旨供述し、その被害届が遅延した理由についての供述もさしたる合理性があることがうかがえず、さらに同人の右供述部分によれば本件当日午前九時頃起床し、朝食をとることなく、午後四時頃までパチンコをやり、その後食堂で冷酒をコップ二、三杯位飲んだうえ「葦火」に赴き、さらに同所で飲酒したものであり、(「葦火」における飲酒量については争いがあるが、)、第二回公判調書中証人藤川良子の供述部分によれば、右丸尾は被告人ともつれるような格好で「葦火」を出て行つたことが認められるので、同人が本件被害にあつた当時相当程度酔つていたことは間違いなく、さらに第二回公判調書中証人石原拓雄の供述部分によれば、右丸尾は翌朝になつてはじめて腕時計を亡くしたことに気付いた疑いもあり、以上の諸点を併せ考えると丸尾泰造の供述中「被告人から時計を引きちぎられた」とのべる点は、正確な記憶にもとづくものではない疑いがあり、にわかに措信できない。
ひるがえつて、被告人の捜査段階における供述の当否を検討するに、弁護人は右段階における供述調書の任意性を争うが、被告人の当公判廷における供述その他全証拠によるも、右供述が強制、拷問、脅迫によるなど任意になされたものでない疑いがあるとは認められないが、一方鑑定人熊澤哲哉作成の鑑定書によれば、被告人は痴愚と魯鈍の境界線上にある精神薄弱であつて、八才位の知能程度であるとこを認めることができるところ、捜査段階では被告人の右のような特性が意識されていたことをうかがわせる証拠はないから、全く正常人として取調の対象とされたものと推認され、被告人が当公判廷において述べるように、言いたくとも自分の主張を述べることができなかつた旨の供述も、右の点に照すとき、肯認しうるところである。したがつて、被告人の捜査段階における本件事実に添う供述は、被害者丸尾泰造の前記措信することのできない被害申告供述にもとづいて被告人の取調べがなされ、被告人は、その精神的劣等性の故に、一度は拾つた旨主張したが、引続く追求に耐えられず、右丸尾供述に照応する内容の供述をするに至つたものと推認され、それが被告人の任意になされた供述であるとしても、その真実性については疑いを持たざるを得ない。
そうして、第二回公判調書中証人丸尾の供述によれば、同人が当日はめていた腕時計は、本件より一年位以前に購入した黒皮バンド付のものであつたところ、被告人から警察を通じて返還された時計は、皮バンドの止め金のところで切れていたことが認められるので、被告人による右丸尾に対する判示一記載の財物奪取を目的としない暴行及びそれに対する丸尾の防禦行為の際、何らかの衝撃によつて、発汗等によりよわつていた皮バンドが切れて路上に落ちることは充分考え得るところであり、それを発見した被告人が日頃から時計を欲していたこともあつて、突差に拾い取ろうとしたことも同様に考えうるところであり、この点においても、被告人の公判段階の供述はおおむね措信できるものと思われる。
以上検討したところによれば、被告人による右時計を拾い取る行為が強盗致傷罪を構成しないことは明らかであるが、同時に、右路上に落ちた時計が、仮りにそれが被告人が当公判廷において述べる如く右暴行の場所から四、五間はなれた場所にあつたとしても、なお丸尾泰造の占有下にあることは明白であり、弁護人の主張するような占有離脱物横領を構成するものではない。
(西尾政義 大森政輔 東修三)